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三川村教育長 大竹 敏夫 (元三川中学校長) 平成2年の秋、三川中学校音楽室から「・・子を呼ぶ母の、子を呼ぶ母の・・」もの悲しくも美しい混声三部合唱の歌声が聞こえてきた。 音楽担当の岩崎正法教諭に聞いたところ、作詩、山本和夫、作曲、岩河三郎先生による「親知らず子知らず」という曲であるという。 岩崎教諭がある晩、私の宿舎である校長住宅を訪ねてきた。話の内容は、以下のようなものである。 三川中学校の卒業文集第1号「文の丘」を読むうちに、昭和42年8月に発生した羽越大水害によって、当時中学校3年生であった板屋越文子さんが亡くなり、その文子さんを偲ぶ文章が目にとまった。非常に強い衝撃を受けた。ついてはこの羽越大水害の犠牲者に対して、鎮魂の意味を込めた合唱組曲を作りたいがいかがなものか、という内容のものであった。 音楽には全く門外漢である私にとって、合唱組曲という言葉自体初めて聞く言葉であり、全体像をつかむのは容易な事ではなかった。聞けば、組曲とは何曲かで構成され、場合によっては30分を超すようなものになるという。 私は、作詩、作曲者は誰に依頼するのか、当てがあるのかと聞いたところ、郡内中学校の音楽発表会で三川中学校の二年生が歌い、校長先生から感動していただいたあの「親知らず子知らず」の山本、岩河の両先生に依頼したいということであった。構想は素晴らしいが、そんな大先生に依頼するめどがあるのかどうか、費用の面はどうなるのか、これは相当腰を据えてかからないと実現できる仕事ではないだろうなどと話をし、その晩は別れた。 その後、話を進めていくうちに、依頼については、岩崎教諭の音楽大学時代の恩師である小林光雄先生が岩河先生と親交があるので打診できるらしいということになった。それにしても岩河先生は大変気難しい先生と聞いているので、まとめるのは容易なことではないと想像した。 一方、費用の面はどうか。これは相当な制作費が必要であろうと推測された。作詩、作曲の委嘱料、そして構想を練るための交通費、滞在費、さらに子どもたちを指導するための費用など、制作費が高額になることは間違いない。これは村長に構想を打ち明け、理解をしてもらわなければ実現できるものではない、このように考え、その機会を村長と村校長会とが例年開いている教育懇談会にしようと考えた。当時の綱木小中学校長の植村敏校長にも事前に話をし、賛同していただくよう根回しをし、激励も受けたところである。 教育懇談会では、恐る恐る切り出した。植村校長の支援もあって、この話は山口銀次村長の心を動かした。やってみようという力強い言葉をいただいた。聞けば、三川村の犠牲者18人のうち山口村長の身内である御両親、兄嫁、甥の4人が含まれているという。誠に痛ましいことで後に続く言葉がなかった。 しかしながら、このような経緯によって、羽越大水害における三川村の犠牲者に対して、鎮魂の意味と、村民の未来に向かってたくましく歩きつづける姿を高らかに歌い上げたいという気持ちを込めた、合唱組曲「阿賀野川」が産声を上げその第一歩が踏み出されたのである。 岩河先生からは、山本先生が作詩を引き受けてくださるのであれば、自分が作曲をしましょうということで、内諾をいただいた。間もなく、平成3年1月、両先生が来村された。当時の佐藤正利教育長ほか教育委員会の担当者の案内で村を巡っていただき組詩の構想を練っていただいた。 山本先生は初演に際し、この合唱組曲「阿賀野川」は、昭和42年8月29日、三川村を轟々(ごうごう)と襲った大洪水をテーマにしたエレジィ(悲曲)であり、その日にささげるレクィエム(鎮魂曲)であると。そして阿賀野川も時として咆哮(ほうこう)し、人々を悲劇の世界に転落させることもあるとして、人生に重ね合わせて述べておられます。 岩河先生は、三川村の各地で大災害時のリアルな話を聞き、作曲の方針も徐々に固まり、組曲5曲の中心に「羽越大災害」のドラマチックなクライマックスを持った「阿賀野川讃歌」というものとして全曲を完成させた。作曲にあたっては、山本先生の格調高い詩にいつも深い感動を覚えたと述べておられます。 こうして、4月からは月にほぼ1曲の割合で楽譜が学校に届けられた。岩崎教諭の合唱への取組みが精力的に始まったのである。そして、平成3年8月29日、新潟市音楽文化会館において初演された。当初、初演は三川中学校体育館で行うこととして準備を考えていたが、岩河先生から初演の持つ意義など、作曲者でなければ知ることのできない初演の大切さを諭され、不明を恥じると共に、音響効果の整った会場探しが始まった。奇しくも希望した8月は新潟市音楽文化会館しか空きがなく、しかもその日は29日しかなかった。三川村の犠牲者の方々の祥月命日に当たる日でもあった。因縁の深さを思わずにはいられない。 満席となった会場では三川中学校2、3年生全員の、純真で一途な歌い方は、実に感動的であり、多くの聴衆が目頭を熱くした。岩川先生は、こんな子供たちを評して、崇高にさえ感じたと語っておられた。万雷の拍手はいつまでも止むことはなかった。この初演は、まさに村をあげて取り組んでいただいたものである。当時の村議会をはじめ、村当局の神田敏郎収入役(現村長)、石川勝利総務課長(現助役)の皆さんなど、多くの関係者から格段の御理解をいただき支援をしていただいた。名曲、合唱組曲「阿賀野川」はこうして三川村の全面的な支援で誕生したものであり、この大英断は決して忘れることはできない。 幸い当村にも平成10年5月に「阿賀野川混声合唱団」が結成された。決して派手さはないが、よき指導者にも恵まれ、熱心な演奏活動を行っている。また、三川中学校では、毎年秋に合唱組曲「阿賀野川」を歌いつぐ会が開かれ、子供たちの見事なハーモニーを披露している。こうした人たちの地道な取組みに敬意を表するとともに、この名曲が今後さらに多くの人に歌い継がれていくことを切に望むものであり、そのことが私共に課せられた使命と受け止めている。(平成15年1月) |